カテゴリ
タグ
以前の記事
2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 お気に入りブログ
晩ご飯日記 Another Diary 新館 Non-Fiction(Remix Version) blogリンク たまごの距離 かめ? PSY・Sリンク ココロに届けハートアイランド 大きな伽羅の木の下で 最新のトラックバック
ライフログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2007年 04月 10日
この間、大和に関するエントリーを書いたついでに、大井篤氏の「海上護衛戦」をひさしぶりに読み返してみた。この本は「血湧き肉躍らざる戦記」などと評されたとこのことだが、華々しい戦果が上がるわけではない海上護衛という戦いが、実は日本の命運を握る最も重要な物であったこと。にもかかわらず、結局敗戦に至る日までそれが理解できない上層部。これでは勝てるわけが無い。”物量に負けた”だの”精神力では勝っていた”だのという負け惜しみが、いかに虚しいたわ言であるかがよく判る。
最近はどうだか知らないのだが、私が子供の頃は、太平洋戦争当時は陸軍はダメだが海軍は割りとまとも、という認識をずっと持っていたのだ。しかし、この本であばかれている連合艦隊の実態はひどいものだ、「艦隊決戦での勝利」という夢に溺れてそれ以外のことに全く目を向けなかった彼らは、亡国の徒と言われてもしかたないだろう。 もっともこれは、日本海軍だけを責められないかもしれない。彼らが仮想敵としたアメリカ海軍も、当初は日本の海軍戦力の撃滅を目的としていた。アメリカよりも遥かに少ない国力でそれに対抗しようとしたら、どうしても”敵を倒すための軍隊”に特化せざるを得なかったのだろう。 敵を想定し、その相手に備えようとするのは軍の本能とでも言えるのかも知れない。だが、そのことによってもっと大切な前提を忘れてしまったのだろう。軍隊のみで安全保障を考えることの危うさがそこにある。
by uchya_x
| 2007-04-10 06:49
| 雑記
|
ファン申請 |
||